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1シーズン全打順先発出場(1) 船田和英 1972

船田和英選手は内野ならどこでも守れるユーティリティプレイヤー。
俊足で小技もできるうえ、1968年の16本を最高に3シーズン2桁本塁打を記録したこともあり、
プロ入りしてから特定の打順で起用されることはなく、1972年ヤクルトアトムズに移籍する以前に
既に4番以外の打順を経験していた。

1972年のアトムズを指揮していたのは就任2年目の三原脩監督。
前年の8月22日第2試合、打力のある外山義明投手(この年は外野手との二刀流)を「1番・ピッチャー」で
起用するなど「三原マジック」は健在だったが、監督初年度52勝72敗6分の最下位と結果は伴わなかった。

60勝67敗3分で4位となった1972年のシーズンも100試合以上スタメン出場した野手は捕手の大矢明彦、
一塁手のデーブ・ロバーツ、右翼手のアルト・ロペスの3選手のみで日替わりスタメンの苦しいシーズンだった。

そんな中、開幕戦を「5番・ショート」で迎えた船田選手は次の試合では3番、4試合目には2番を打つなどし、
シーズン序盤の5月末で既に4番と8番以外の打順に起用された。

しかし、開幕当初主に守っていたショートには5月中旬頃から東条文博選手が定着、船田選手はサードに
回ったがさらに6月に入ると荒川堯選手に取って代わられ、出場機会は大きく減った。

その後7月から8月中旬までショートでは東条選手との併用となり、8月24・25日にはセンターでもスタメン起用された。
8月31日「8番・セカンド」での出場によりあとは4番を残すのみとなったが、9月に入るとまたスタメンを外れるようになった。

そして残り試合がわずかとなった10月、荒川、武上両選手が一軍を離れるのを機に再びスタメンに名を連ねるように
なった船田選手は、8日の第1試合に「4番・セカンド」でスタメン出場、ついに1シーズン全打順先発出場を達成した。
これは私が調べた限り、2リーグ制になった1950年以降では初の記録である。

※なお、出場状況はデータ上から読み取ったもので、故障や成績不振などの情報は手元に持ち合わせていません。
ご了承下さい。

4月 対戦 1番 2番 3番 4番 5番 6番 7番 8番 9番 途中
11 (遊)
13 (遊)
16 (遊)
17 (遊)一
18 (一)
19 (三)一
21 (三)
22 (遊)
25 (遊)
27 (遊)
29- (遊)三
29= (遊)三
30 (遊)三
5月 対戦 1番 2番 3番 4番 5番 6番 7番 8番 9番 途中
2 (遊)三
3- (遊)
3= (遊)二遊
5 (遊)
6 (遊)
7 (二)遊
9 (遊)
10 (遊)
11 (三)
14 (三)
15
17 (三)一
18 (三)
20 (三)
21 走一
23 (三)遊
24 (三)
25
28- (三)遊
28= (遊)
30
31 (三)
6月 対戦 1番 2番 3番 4番 5番 6番 7番 8番 9番 途中
1
4-
4= 走一
6 走一
7
9
10
11 (二)
13
15
17
18-
18=
20
21
22
23 走三
24 (三)
25
28-
28= 走一
29
30 代走
7月 対戦 1番 2番 3番 4番 5番 6番 7番 8番 9番 途中
1
2- 走一
2= (遊)一
4 (遊)
5
6-
6=
8 (遊)
9 (遊)
18 (遊)
19 (遊)
20 (遊)
28 (一)
29 打遊
30
8月 対戦 1番 2番 3番 4番 5番 6番 7番 8番 9番 途中
1 (遊)一
2- (遊)
2= (遊)
3 (遊)
4
5
6-
6=
8
9 (遊)
10 (遊)
12 (遊)
13- (遊)
13= (遊)
15
16
17
19 三遊
23 (一)
24 (中)二中
25 (中)
27 (遊)
30 (遊)二
31 (二)遊
9月 対戦 1番 2番 3番 4番 5番 6番 7番 8番 9番 途中
2
5 (一)
7
10
11
13
17 代打
18 (一)遊
19
20
21
23- 走遊
23= (遊)
24
25
27 走遊
28
30 (三)
10月 対戦 1番 2番 3番 4番 5番 6番 7番 8番 9番 途中
1
2
3 (三)
4- (三)
4= (三)遊
5 (三)
7 (二)
8- (二)
8= (二)
10 (二)
12 (二)
13 (二)
14- (三)
14= (二)
15 (二)
打順 期間別スタメン起用試合数 合計
1-22 23-44 45-65 66-87 88-109 110-130
1 1 1 6 1 9
2 13 3 2 4 1 3 26
3 3 6 9
4 1 1
5 4 2 3 2 3 14
6 1 1 2 4
7 2 1 1 1 5
8 2 2
9 2 1 3
22 10 3 15 8 15 73

1シーズン全打順先発出場を達成したものの、結局この年の出場は100(スタメン73)試合、
規定打席に達することなく、 打率.248 本塁打8 打点31という成績に終わった。
ちなみに船田選手が4番でスタメン出場したのは現役を通じてこの年の1試合のみだった。

三原監督がヤクルトを指揮した3年間で、ひとつの打順を100試合以上任されたのは
1971年の4番・ロバーツ選手のみで打順を固定することが無かった(できなかった?)が
その采配がこの記録を生んだことになる。

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