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1シーズン全打順先発出場(3) 後藤光尊 2005

前年に起きたプロ野球再編問題は新球団楽天誕生に決着し、新たなスタートを切った2005年に
2リーグ制成立後3度目の1シーズン全打順先発出場が達成された。

プロ入り4年目を迎えたオリックス・後藤光尊選手は内野ならどこでも守れるユーティリティプレイヤーで、
それまでの3年間一度も規定打席に達したことはないものの既に3・4番以外でスタメン出場を果たしており、
この年復帰した、日替わりスタメンを駆使する仰木彬監督にとっては起用しやすい選手だった。

開幕3戦目に「9番・ショート」でスタメン出場して以降、シーズン序盤は主に6・7・8番と下位打線で
起用されていたが、交流戦のさなかの5月24日対阪神戦で5番を任された。

その後ショートを阿部真宏選手に譲りサードで起用されるようになると上位打線に組み込まれる事も増え、
6月9日に3番、14日に4番、15日には1番でスタメン出場し、1シーズン全打順先発出場にリーチをかけると
翌16日の対中日戦で2番に起用されあっさり全打順制覇を達成、シーズンのちょうど半分68試合目のことだった。

シーズン後半は対戦相手の先発が左投手の時にスタメンを外されるなど、レギュラー定着までは至らなかったが、
サード、ショート、指名打者で主に3・5番を任された。

※なお、出場状況はデータ上から読み取ったもので、故障や成績不振などの情報は手元に持ち合わせていません。
ご了承下さい。

3月 対戦 1番 2番 3番 4番 5番 6番 7番 8番 9番 途中
26
27
28 (遊)
29
30 (遊)
4月 対戦 1番 2番 3番 4番 5番 6番 7番 8番 9番 途中
1 (遊)
2
3
4
5 (遊)
6 (遊)
8 (遊)
9 (遊)
10
13 代打
15 (遊)
16 (遊)
17
18
19 (遊)
20 (遊)
23 代打
24
25 (遊)
26 (遊)
27
29
30
5月 対戦 1番 2番 3番 4番 5番 6番 7番 8番 9番 途中
1 (遊)
3
4 (遊)
5 (遊)
6 (遊)
7 (遊)
8 (遊)
10 代打
11
12
13 (指)
14 (指)
15 (指)
17 (遊)
18 打遊
19 (遊)
20 (遊)
21 (遊)
22 (遊)
24 (遊)
25 (遊)
26 (三)
27 (三)
28 (三)
29 (三)
31 (三)
6月 対戦 1番 2番 3番 4番 5番 6番 7番 8番 9番 途中
1 (三)
2 (三)
3 (三)
4 (三)
5 (三)
7 (三)
8 (三)
9 (三)
10 (三)
11 (三)
12 (三)遊
14 (三)
15 (三)
16 (三)
21 (三)
22
23 (三)
25
26
27 (三)
28
29
7月 対戦 1番 2番 3番 4番 5番 6番 7番 8番 9番 途中
2
3 (三)遊
4 代打
5 (三)
6 (三)
8 (三)
12 走三
13 (三)
15 (遊)
16 (遊)
17 (三)
18
19 (三)
20
26 (指)
27
30 (三)
31 打指
8月 対戦 1番 2番 3番 4番 5番 6番 7番 8番 9番 途中
2 (三)
3 (三)
5 (遊)三
6 (遊)
7 (遊)
9
10 (指)
11 (指)
12 三遊
13 (指)
14 (指)
16 (指)
17 代打
18 (指)
19 (指)
20 代打
21
23 (指)
24 (指)
26 (指)
27
28 (三)
31 (三)
9月 対戦 1番 2番 3番 4番 5番 6番 7番 8番 9番 途中
1
2 (指)
3 (三)遊
4
6
7
10 (指)
11 (三)
13 (三)
14 代打
17
18 (三)
19 (三)
22 打三
23 (三)
24 (三)
25
27
28 代打
打順 期間別スタメン起用試合数 合計
1-23 24-46 47-68 69-91 92-114 115-136
1 1 1
2 1 1
3 1 1 9 8 19
4 1 1 2
5 16 5 5 1 27
6 7 11 2 2 2 24
7 1 5 6
8 1 4 1 6
9 2 2
11 15 22 13 16 11 88

後藤選手はこの年、規定打席には足りなかったが105(スタメン88)試合出場 打率.295 9本塁打 42打点の成績をおさめた。
さらに翌2006年(監督は中村勝広)にも4番を除く8つの打順で先発出場している。

こういう類の記録は監督の采配によるものが大きく、仰木監督指揮下のオリックスでは1シーズン全打順先発出場まで
あとひとつまで迫った選手は、1994・1995・1997年小川博文、1998・1999年谷佳知、1998・1999・2001年田口壮、
2000年五十嵐章人とJ・ナナリー、2001年葛城育郎と9年間でのべ11人いたが、奇しくも仰木監督最後の年にようやく
後藤選手がこの記録を残すこととなったのである。

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