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打順 | 選手名 | 試合数 | 所属チーム |
---|---|---|---|
1 | 福本 豊 | 2132 | 阪急 |
2 | 平野 謙 | 1067 | 中日-西武-ロッテ |
3 | 青田 昇 | 1384 | 巨人-阪急-読売-洋松・大洋-阪急 |
4 | 野村 克也 | 2256 | 南海-ロッテ-西武 |
5 | 和田 一浩 | 1089 | 西武-中日 |
6 | 山ア 武司 | 624 | 中日-オリックス-楽天-中日 |
7 | 矢野 輝弘 | 637 | 中日-阪神 |
8 | 谷繁 元信 | 1850 | 大洋・横浜-中日 |
9 | 金子 誠 | 936 | 日本ハム |
1936-2018年の各打順におけるスタメン出場試合数ランキングですが、
ここに掲載するデータはすべて私が収集したもので数値は公式なものではありません。
注) 偵察メンバーの後に起用された時はカウントされていません(例-福本豊選手の1番、
加藤英司選手の3番など)が、逆にごく稀なケースで野手が偵察メンバーで起用された場合はカウントしています。
(例-南海・門田博光選手は故障中3番に偵察メンバーで起用されることが度々ありましたが、
それも先発出場試合数に含まれています)
私の集計では2256試合ですが、プロ野球記録大鑑(昭和11年‐平成4年)では2259試合と記載されており
3試合の誤差があります。
ロッテに所属していた1978年9月3日第1試合「4番・指名打者・渡辺秀武」、8日「4番・指名打者・金田留広」の2試合は
偵察メンバーの代打に起用され、そのまま4番・DHとして出場したため私のサイト及び資料集のルール上省略されます。
残る1試合は1959年、大鑑では65試合と記載されているのに対し私の集計では64試合で、この食い違いに気付いた後
再度新聞を確認してみましたがこの結果に変わりありませんでした。
この件については暇ができた時にもう一度確認するつもりです。
追記(2010.11.3) 日刊スポーツで確認しましたが、1959年野村選手が4番についたのはやはり64試合でした。
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