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ピッチャーの一時退避

正式な名称があるのかは不明だが、ここで言う「一時退避」とは、野村克也氏が阪神監督時代に起用し有名になった
「遠山-葛西-遠山」のように、投手交代の際にマウンドにいた投手を他のポジションに移し別の投手を登板させた後、
再びマウンドに立たせる起用法のことである。
通常ファーストか打球のまず飛んでこない守備位置についた後マウンドに戻るものだが、私の調べた限り一例だけ
2つのポジションを経由して戻ってきた投手がいる。

それは1964年8月22日対阪神戦の大洋・秋山登投手。

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14
大洋 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
阪神 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

延長14回の末、結局引分けに終わったこの試合で三原脩監督が動いたのは6回裏だった。
秋山が迎えた1死2塁のピンチ、4番遠井吾郎、5番藤井栄治、6番並木輝男と左打者が3人続くところで、
三原監督は秋山投手をレフトの守備につかせ、マウンドには左腕・鈴木隆投手を送った。
(外野守備陣形-レフト秋山、センター重松、ライト長田)

ここで阪神は遠井に右の代打・藤本勝巳を起用してきたが、大洋ベンチは敬遠策をとり空いている1塁へ藤本を歩かせた。
続く1死1・2塁、藤井を打席に迎える場面で再び三原監督が登場、今度はレフトの秋山をファースト、ファーストの近藤和を
センター、センターの重松をレフトの守備につかせるシフト変更を主審に告げた。
そして鈴木は三原監督の期待通り藤井、並木を打ち取り大洋はこのピンチを凌いだ。

7回表の攻撃で鈴木に代打・森を起用した後のマウンドには再び秋山が上がり、この回から延長12回2死までノーヒットに
抑えたが、13回裏1死2・3塁のピンチで今度は本当に降板、代わった稲川が後続を断ちなんとか引分けに持ち込んだ。

当時の読売新聞には、「草野球といわれながらもこの6回裏にとった三原作戦が結果的には大洋を救ったといえよう」と
厳しく書かれているが、その采配のお陰で秋山選手は「①731」という珍しい守備位置変更を記録することとなった。

ちなみにこの試合の守備位置変更と投手成績は以下の通り。

⑧383 近藤和
6 浜中
⑦878 重松
⑨797 長田
⑥5 桑田
⑤3 クレス
3 松原
アグリー
R9 黒木
1 鈴木
H9
島田幸
R4 近藤昭
土井
PH 金光
2 伊藤
①731 秋山
1 稲川
投手
秋山 5 1/3 5 1 2 0
鈴木 0 2/3 0 0 1 0
秋山 6 1/3 3 6 2 0
稲川 1 2/3 0 0 1 0

追記

この記事を書いた後に「公認 野球規則」3.03 【原注】同一イニングでは、投手が一度ある守備位置についたら、
再び投手となる以外他の守備位置に移ることはできないし、投手に戻ってから投手以外の守備位置に移ることもできない。」
というルールを知った。これだと秋山投手の守備位置変更は認められないことになるのだが、いつ定められたのだろうか。

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